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東京高等裁判所 昭和49年(う)2400号 判決

控訴人 双方

被告人 堀井勇

弁護人 宮本正美

検察官 松藤滋

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官伊藤栄樹及び弁護人宮本正美作成の各控訴趣意書に記載してあるとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は弁護人宮本正美作成の答弁書に記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所はつぎのとおり判断する。

弁護人の控訴趣意第一点について。

論旨は要するに、原判決は、判示第一において、被告人が先行車両の動静を注視し、同車後方で一時停止して右先行車両の発進をまつて進行する等自車進路の安全を期して運転すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠つたため、急制動の措置をとるに至り、その衝撃によつて被害者鈴木政子に原判示の傷害を負わせた旨認定しているが、被告人は、先行車両が突然右折の合図を出して停車したため、やむを得ず急制動の措置をとらざるを得なくなつたものであつて、原判決は右の点についての審理を十分尽しておらず、理由不備の違法があるというのである。

しかし記録を精査して検討すると、原判決挙示の証拠によれば、原判示の右認定を十分肯認することができる。すなわち、右証拠ことに原審証人鈴木政子、同杉本久仁子の各供述、司法巡査及び検察官作成の各実況見分調書並びに被告人の検察官に対する各供述調書を総合すると、被告人はタクシーの運転手であるが、原判示の日時に、原判示の場所で、女客四名をタクシーに乗せ、時速約一五キロメートルで進行していたところ、約一〇メートル前方を先行中の普通貨物自動車が進路前方の交差点の手前で右折のため停止したのを認めた。ところが、同所は道路の幅員が片側約五メートルで、かつ当時道路左側に駐車している車両があつたため、右先行車両と駐車車両との間を自車が通り抜けるのが困難なほど狭くなつていたのに、被告人は容易にその間を通過できるものと軽信して前記速度のまま進行し、先行車両の後方約三メートルまで接近してその左側方を通過しようとしたため、前記先行車両に衝突する危険を生じ、急激にハンドルを左に転把するとともに急制動の措置をとつたけれども、その衝撃が急激であつたため、自車の助手席に乗つていた客の鈴木政子の額をフロントガラスの上に取りつけてあつた無線予約用プラスチツク器具に打ち当てさせ、その結果加療約六か月半を要する頸椎捻挫等の傷害を負わせたことが認められる。前掲証拠のほか原審で取調べたすべての関係証拠を検討しても、右認定を覆えすに足りない。そこで右に認定した事実に徴すれば、被告人に原判示のような過失の存することは明らかであつて、所論にかんがみさらに記録を精査しても、原判決に所論のような審理不尽及び理由不備の違法があるとは認められない。それで論旨は、理由がない。

弁護人の控訴趣意第二点について。

論旨は要するに、原判決は判示第二において、被告人が道路交通法七二条一項前段所定のいわゆる救護義務を尽さなかつた旨認定しているが、同法条は、路上において自動車の外部で発生した人身事故等の交通事故を主な対象とする規定であるから、本件のように車内で生じた軽微な事故にまで適用すべきではないと解される。そこで、原判決には、前記法条の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

しかしながら、車両等の運転者が、いわゆる人身事故を発生させたときは、直ちに車両の運転を停止し、十分に被害者の受傷の有無、程度を確かめ、全く負傷していないことが明らかであるとか、負傷が軽微なため被害者が医師の診療を受けることを拒絶した等の場合を除き、少くとも被害者に速やかに医師の診療を受けさせる等の措置を講ずべきであつて、運転者自身の判断で、負傷は軽微であるから救護の必要はないとして右の措置をとらないことは許されないものと解せられる(昭和四五年四月一〇日第二小法廷判決、刑集二四巻四号一三二ページ参照)。ところが本件においては、証拠によれば、被告人は、前記認定のような経過で被害者鈴木政子が額に約四センチメートル大の傷を負つて血がにじんでいたことを認識していながら、被害を軽微なものと速断して「けがが大きくなれば、会社に電話して下さい。」といつて、自己所属の会社名、電話番号、姓名を記載した紙片を被害者に渡しただけで、直ちに車両の運転を停止して十分に被害の程度を確かめたうえ速やかに医師の診療を受けさせる等の措置を講じなかつたことが認められる。そして証拠によれば、被告人が被害者に対して医師の診療を受けることを促した事実はなく、他方被害者が被告人に対して医師の診療を受けることを拒絶した等の事実も認められない。

所論は、本件は車内で生じた軽微な事故であるから前記法条を適用すべきでない旨主張するけれども、車内において発生した負傷事故であつても、右法条の適用がないとはいえず、同法条が、路上において自動車の外部で発生した人身事故等の交通事故を主な対象とした規定であるというのは独自の見解であつて採用できない。また、被告人が被害者に対し前記のようなメモを渡したことで右法条所定の義務を尽したものともいえない。そうだとすると、被告人は道路交通法の前記法条の定める義務に違反したものであつて、原判決に所論のような違法はないといわなければならない。それで論旨は、理由がない。

弁護人の控訴趣意第三点について。

論旨は、原判決の量刑不当を主張するものであるが、本件についての当裁判所の量刑上の判断は、後記の破棄自判の所で示すので、所論に対する判断は省略する。

検察官の控訴趣意について。

論旨は要するに、原判決が本件公訴事実中、起訴状第二の二記載の報告義務違反の点について被告人に無罪を言い渡したのは、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで記録を調査すると、原判決は、「被告人は、昭和四七年一二月六日午後二時ころ、東京都渋谷区渋谷三丁目一番八号付近道路において、普通乗用自動車を運転中、自車の同乗者鈴木政子に傷害を負わせる交通事故を起したのに、その事故発生の日時、場所等法律の定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」との公訴事実につき、証拠上右の事実を認めることができるとしながら、被告人は本件事故について、所定の事項を警察官に報告する義務がなかつたとして、その理由をつぎのとおり判示する。すなわち、交通事故の態様に照らし、迅速な交通警察関与の必要性を必ずしも一律には肯認しえない態様の事故の場合には、法形式上は報告義務を負担するもののようであるけれども、解釈上報告義務の発生しない場合があるものと解せられる。交通秩序の早期回復、被害者救護の必要性等の観点から、外形的にみて交通警察関与の必要性を合理的に承認しうるような交通事故ではなく、抽象的にも具体的にも、もはや迅速な交通警察官関与の必要性がないと明らかに判断されうる態様の事故は、それが車両の走行の過程で生じた事故であつても、必ずしも道路交通法七二条一項後段に定める報告義務を生じさせるものとは解されない。そして、本件においては、純然たる車内事故であり、その態様につき交通警察の関与を必要とするような交通秩序の混乱を認めることはできず、被害者救護の観点からしても、さらに交通警察の関与を必要とするような態様を伴つていないことも明白である。従つて、このような本件事故についてまで、直ちに警察官に報告すべく刑罰を以て被告人に強制することは、同条の立法趣旨に照らしても相当でないから、本件公訴事実は罪にならないとして被告人に対し無罪を言渡したのである。

しかしながら、道路交通法七二条一項後段所定の報告義務は、同条所定の交通事故があつたときは、個人の生命、身体及び財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官にすみやかに前記法条所定の各事項を知らせ、負傷者の救護及び交通秩序の回復等について、当該事故に対する適切妥当な措置を講ずる必要性の有無等を、その責任において判断させ、前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させるためにあると解されるから、警察官に右の判断の機会を与えないことになるような原判決の解釈は、同法条の趣旨にそぐわないもので、適当でないといわざるを得ない。すなわち、本件事故についてみると、車内において発生した負傷事故であり、その負傷の程度も一見軽微なように見えたのであるけれども、実際は、加療約六か月半を要する頸椎捻挫等の傷害を伴つた事故であつて決して軽微な事故とはいえなかつたものであり、警察官の責任において負傷者の救護等について何らかの措置を講じる必要の有無について判断させる必要性のある事案であつたのである。以上の説示によつて明らかなとおり、被告人は本件事故につき前記法条による報告義務があつたものと解するのが相当である。したがつて、原判決が本件を罪にならないものとして被告人に対し無罪の言渡をしたのは、所論のとおり、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。それで諭旨は、理由がある。

そして、原判決が無罪とした報告義務違反の点は、原判決が有罪とした各事実とともに併合罪として一個の刑により処断されるべき関係にあるから、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を全部破棄することとし、同法四〇〇条但書により、当裁判所においてさらにつぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判決が罪となるべき事実として認定した事実のほか、「第三、右第一記載の日時に、同記載の場所において、自己の運転する自動車の交通による事故のため、右鈴木政子に傷害を負わせたのに、その事故発生の日時・場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」を付加する。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の原判示所為中、第一は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同第二は、道路交通法七二条一項前段、一一七条に、当裁判所の認定した前記第三の所為は、同法七二条一項後段、一一九条一項一〇号にそれぞれ該当するので、所定刑中、右第一につき禁錮刑を、第二及び第三につきいずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い前記第二の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で処断すべきこととなるが、情状について検討すると、被告人は職業運転手でありながら、前記のような過失により乗客に負傷させたのに、(所論のように被害者の座席での坐り方が悪かつたことが負傷の一因であるというような事情は証拠上何ら認められない。)救護及び報告の義務を怠つたもので被告人の前科歴等を併せ考えると、その刑責は軽視することはできない。しかし他方、被告人は被害者に対して自己の会社名や姓名などを記載したメモを手渡していること、被害者と示談を遂げていること等被告人に有利な事情を斟酌すると、被告人を懲役八月に処したうえ、刑法二五条一項により、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予するのが相当である。そこで、原審及び当審における訴訟費用につき、刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浦辺衛 裁判官 環直彌 裁判官 内匠和彦)

検察官伊藤栄樹の控訴趣意

原判決は、公訴事実のうち第一の業務上過失傷害及び第二の一の救護措置義務違反の各事実を認め、検察官の求刑懲役一年に対し、被告人を懲役八月に処し、三年間右刑の執行を猶予する旨の言い渡しをしたが、公訴事実第二の二の事故報告義務違反の事実については、これに相応する外形的事実を認めながら、道路交通法七二条一項後段の解釈として、交通事故において報告義務を発生させない場合があるとの見解をとり、本件事故はそれに該り、罪とならないとして無罪の言い渡しをした。

しかしながら、原判決が右見解のもとに無罪の言い渡しをしたのは、以下に詳述する理由により、法令の解釈・適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから到底破棄を免れないものと思料する。

一 道路交通法七二条一項後段のいわゆる事故報告義務は、いかなる交通事故の場合にもその義務を免れるものではない。

原判決は、道路交通法七二条一項後段につき、解釈上報告義務を発生させない場合として「交通秩序の早期回復、被害者救護の必要性等の観点から、外形的に見て交通警察関与の必要性を合理的に承認しうるような交通事故ではなく抽象的にも具体的にも、もはや迅速なる交通警察官関与の必要性がないと明らかに判断されうる態様の事故は、それが車両の走行の過程で生じた事故であつたにせよ、必ずしも同条に定める報告義務を生じさせるものとは解されない。けだし、交通警察官は、かような態様の事故につき直ちに報告を受けたところが、道交法七二条二項、三項等による関与の余地もないのであつて、かような場合においても国民に対し、一律に警察官に直ちに報告すべきことを刑罰で以て強制するに足るだけの合理性を同条の立法趣旨に見出すことはできないからである。」と判示する。

しかしながら、同条項は、人の死傷又は物の損壊、すなわち交通事故があつたときは、当該運転者らは所定の事項を警察官に報告しなければならないと規定しているのであつて、交通事故があればその具体的状況のいかんにかかわらず一律に報告義務が発生することは同規定自体によつて明らかである。このように事故の軽重を問わず一律に報告義務が規定されているのは、交通取締の責任を負う警察官をして、速やかに事故発生の事実を知らしめ、負傷者の救護・交通秩序の回復等に適切な応急措置をとらしめ、かつ当該車両等の運転者らの講じた措置が適切であるかどうか、更に講ずべき措置はないかなどを、当該警察官の責任において判断させ、万全の措置を検討・実施させるためである。それゆえに、当該車両等の運転者らは、負傷者を救護し、交通秩序も既に回復したなどのため、警察官においてそれ以上の措置をとる必要がない場合であつても、報告義務を免れることはないというのが、判例上も定着した解釈となつている(昭和四八年三月一五日最高裁判所第一小法廷判決(昭和四六年(あ)第一八二二号事件最高裁判所刑事判例集二七巻二号一〇〇頁)なお後記五参照)。

したがつて、道路交通法七二条一項後段について、報告義務を生じさせない場合があるとする原判決の見解は、極めて恣意的な解釈であるといわざるをえない。

二 原判決は、報告義務を発生させない場合の理論的前提を黙秘権の保障と道路交通行政の必要との調和に求めるが、その論理には誤りがある。

原判決は、交通事故において報告義務を発生させない場合があるとする理論的前提として、「公共の福祉を理由とする人権の制約は、もとより必要にして合理的な限度に止められるべきであり、そこには自ずから黙秘権の保障と道路交通行政の必要との間の健全なる調和点が存在する筈であつて、ひとしく、交通事故というも、その態様に照らし、およそ迅速なる交通警察関与の必要性を一律には必ずしも肯認しえない態様の事故の如きは、法形式上は報告義務を負担するものの如くでありながらも、解釈上報告義務を発生させない場合があるものと解される。」と判示する。

しかしながら、黙秘権は憲法三八条一項にいう自己に不利益な供述を強要されないことの反射的利益であつて、自己負罪の虞のある供述についてのものである。したがつて、交通事故の報告義務について考えれば、事故の態様とは関係なく、事故についてなにを報告するかということ、すなわち報告事項との関係における問題なのである。

ところで、交通事故があつた場合に、報告すべき事項は、道路交通法七二条一項後段に明定されているとおりであつて、事故発生の日時及び場所、死傷者の及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及び損壊の程度並びに講じた措置である。これらの事項は、いずれも交通事故の態様に関する客観的事項のみであつて、刑事責任を問われる虞のある事故の原因等は含まれていない。そして、これらの報告事項がいわゆる黙秘権を規定した憲法三八条一項の不利益供述の強要に該らないことは、昭和三七年五月二日最高裁判所大法廷判決(昭和三五年(あ)第六三六号事件、最高裁判所刑事判例集一六巻五号四九五頁、同旨昭和四五年七月二八日最高裁判所第三小法廷判決(昭和四四年(あ)第四五〇号事件、同判例集二四巻七号五六九頁))の判示するところである。すなわち、事故の態様のいかんにかかわらず、事故の報告は、その内容となる事項が右のものである限りにおいては、不利益供述の強要に該らないので、黙秘権に抵触することはないのである。

もつとも、原判決は、右大法廷判決における奥野・山田両裁判官の補足意見及び昭和四七年五月二九日東京高等裁判所判決(昭和四七年(う)第二五二号事件、高等裁判所刑事判例集二五巻二号二二八頁)に同調して、報告義務が不利益な供述を強要する結果にややもすればつながる虞があるとしても、それが必要合理的な範囲に止まる限り、黙秘権に対する必要最小限度の合理的制約として許されるとの立場をとつているのであるが、右補足意見及び高裁判決は、いずれも事故の態様に関する客観的事項を報告することが黙秘権の制約としてやむをえないというのであつて、原判決のように、黙秘権の保障との関係において、事故の態様に照らして報告義務を発生させない場合があるといつているのではない。

したがつて、原判決が黙秘権の保障との関係において、交通事故の態様に照らし、迅速なる交通警察関与の必要性を一律には必ずしも肯認しえないような態様の事故の如きは、解釈上報告義務を発生させない場合があるものと解せられるといつているのは、その論理に誤りがあるといわねばならない。

三 原判決の見解によれば、報告義務の有無を当該車両運転者の判断に委ねることになり不合理である。

交通事故があつた場合に、負傷者の救護・交通秩序回復等のためいかなる措置が必要であるかの判断は、警察官がその責任においてするものであり、そのための情報を得させる目的で、いかなる態様の事故にあつても車両運転者に報告義務が課せられていることについては既に述べたとおりである。しかるに原判決によれば、抽象的にも具体的にも、もはや迅速なる交通警察官関与の必要性がないと明らかに判断されうる態様の事故にあつては、報告義務を発生させないことになるのであつて、報告義務を伴う交通事故であるか否かの判断は、当該車両運転者の主観によつてなされることになる。この点について原判決は、「報告義務を伴う交通事故であるか否かを、場合によれば当該運転者の主観的判断に委ねる結果に導きかねないような解釈が妥当ではない旨の懸念が或いは予想される。しかし、当該運転者が、自ら勝手に報告義務がないと判断したところで、客観的に警察官関与の必要性を否定しえない限りは報告義務を免れない(おそらく講学上交通事故と称されるもののうちの大多数がこの態様のものであろうことも又、当裁判所に顕著である)のであり、その点につき争いがあれば、事後的にではあれ、裁判所の判断を通じて、自ら事柄が明らかにされる筋合であつて、右の懸念は必ずしも妥当しないと考えられる。」と判示する。

しかしながら、客観的に警察官関与の必要性を否定しえない限りはといつても、その基準は不明確であり、ましてその判断を当該車両運転者の主観に委ねるのであるから、いきおい警察官関与の必要性がある場合にも、自己に有利に報告義務のない場合として処理されることになるであろう。原判決はその点につき争いがあれば、事後的にではあれ、裁判所の判断によつて明らかにすればよいというのであるが、裁判所の判断をまつまで報告義務の有無が不確定な状態におかれるようでは、法的安定性を欠くことはもとより、交通事故において警察官が迅速適切な必要措置をとるうえに重大な支障を及ぼすことになり法が報告義務を定めた趣旨に反するものといわなければならない。

このように、交通事故があつた場合に、報告義務の有無を当該車両の運転者に判断させることには多くの不合理があるのであつて、事故の具体的状況のいかんにかかわらず一律に警察官に報告させることには、十分な理由があるといわなければならない。

四 原判決には、救護義務違反を認めながら、報告義務違反を認めなかつた論理の矛盾がある。

道路交通法七二条一項後段の法意は、前述したように、警察官をしてその責任において、単に交通秩序の回復のみでなく、負傷者の救護についても万全の措置をとらせるため、当該車両の運転者に報告義務を認めたのである。原判決もこの点は同一見解のもとに「報告義務が課せられる所以は、交通事故が発生した場合、警察官をして速やかに被害の拡大を防止し、交通秩序を早急に回復せしめ、さらに被害者の救護等につき適切な措置を講じさせるため、当該車両等の運転者に対し、事故の態様に関する客観的事項のみの報告をさせ、その限度で交通警察に対する協力義務を負わせるところにある。」と判示する。

ところで本件事故において、被害者は、診断書・病状回答書によれば、約三週間の安静加療を要する前額挫創兼打撲傷と加療約六か月半を要する頸椎捻挫を負つたのであつて(記録三二丁、一七三丁)、傷害の程度は決して軽微ではない。原判決も右傷害を認定し、被害者が額に約四センチメートル大の傷を受け、血がにじんでいる状態にあつて、事故の発生が外部的に明白であつたと認めたうえ、「直ちに車両の運転を停止し十分に被害の程度を確かめ、速やかに医師の診療を受けさせる等の措置を講じなかつたものであつて、たとえ本件被害者が法的に無知なため被告人に対してそれを要求しえないものと考え積極的にこれを求めなかつたとしても、被告人が、車両を運転する者に課せられた救護義務を充分に尽したものとはいえず」と判示して被告人の救護措置義務違反を認めたのである。右傷害の程度からみて、本件事故は、警察官において具体的に被害者救護の措置を講ずべき場合であつたことが明らかであつて、原判決の立場をとつても、被告人に事故についての報告義務がある場合であつたといわなければならない。

にもかかわらず原判決は、「被害者救護の観点よりするも被告人自らがそれ相応の而るべき救護の方法を尽さなかつた点はとがめられるべきであるが(判示第二の事実)、その点につきさらに交通警察の関与を必要とするような態様を伴つていないことも又明白であつて」と判示して、被害者救護の面における報告義務を否定したのである。

しかしながら本件事故における被害者の傷害の程度は前述したとおりであつて、具体的にも救護措置が講ぜられねばならない場合であるのに、原判決が交通警察の関与を必要とするような態様を伴つていないと判断したのは明らかに誤りであり、被告人に救護措置義務違反を認めながら、警察官をして救護措置をとらすための報告義務を否定したのは、論理上も矛盾しているといわなければならない。

五 原判決は、従来の判例に違反するものである。

道路交通法七二条一項後段については、既に述べたように、昭和四八年三月一五日最高裁判所第一小法廷判決のほか、昭和四二年二月九日仙台高等裁判所判決(昭和四一年(う)第二七八号事件、判例タイムス二〇七号一八四頁)、昭和四三年五月一七日同高等裁判所判決(昭和四三年(う)第五六号事件、下級裁判所刑事裁判例集一〇巻五号五三九頁)、同年一一月二五日東京高等裁判所判決(昭和四三年(う)第一一五一号事件、判例タイムス二三三号一八九頁)、昭和四四年三月六日大阪高等裁判所判決(昭和四三年(う)第一五一三号事件、刑事裁判月報一巻三号一八七頁)、昭和四五年三月一二日東京高等裁判所判決(昭和四四年(う)第二四〇五号事件、東京高等検察庁編集東京高等裁判所裁判速報(一、七九〇)一六頁)、同年一一月一一日同裁判所判決(昭和四五年(う)第一七六六号事件、前同裁判速報(一、八二六)六頁)、同年一二月八日同裁判所判決(昭和四五年(う)第一六六〇号事件、高等裁判所刑事判例集二三巻四号八四八頁)、昭和四六年八月六日同裁判所判決(昭和四六年(う)第八七二号事件、最高裁判所刑事判例集二七巻二号一一二頁に引用掲載)、同年九月二九日同裁判所判決(昭和四六年(う)第一九八一号事件、前同裁判速報(一、八六二)一三頁)、昭和四七年五月二九日同裁判所判決(昭和四七年(う)第二五二号事件、高等裁判所刑事判例集二五巻二号二二八頁)、同年七月一〇日同裁判所判決(昭和四七年(う)第七八二号事件、東京高等裁判所判決時報二三巻七号一三〇頁)、昭和四八年一二月二一日最高裁判所第二小法廷判決(昭和四七年(あ)第一一一〇号事件、最高裁判所刑事判例集二七巻一一号一四六一頁)などいずれも同旨の判断をしているのである。

このように、原判決が従来の判例に違反することは明白である。

以上述べたとおり、原判決は、道路交通法七二条一項後段の解釈について、極めて特異な見解をとり、同法条の解釈・適用を誤つたものであつて、到底承服することができない。

したがつて、原判決は破棄されなければならないが、その際の刑の量定については、

1 片側幅員約五メートルという狭い道路で、先行車と駐車車両との間を通り抜けようとして発生した事案で、自動車運転者として初歩的・基本的な注意義務に違反した過失は極めて重大である(被害者にとがめられるような過失はない)、

2 傷害の結果は、加療約六か月半を要する頸椎捻挫等の傷害を与えたもので、これまた大である、

3 前述のように救護措置義務違反だけでなく、事故の報告義務にも違反した悪質事犯である、

4 被告人には、業務上過失傷害による罰金刑に処せられたほか、道路交通法違反により前後一一回にわたつて罰金刑に処せられた前科がある(記録一二三丁以下)

等の情状を考慮し、原審検察官の求刑

懲役一年 (記録一六三丁)

を相当と思料する。

よつて、原判決を破棄し、更に適正な裁判を求めるため、本件控訴に及んだ次第である。

弁護人宮本正美の控訴趣意

第一点、原判決には審理不尽による理由不備の違法がある。

原判決認定の事実は、要するに被告人は道路の幅員が片側約五メートルであり、当時道路左側に駐車車輛があつたため、その先行車輛と駐車車輛との間隔がその間を自車が安全に通り抜けるのが困難なほど狭くなつていたのであるから、このような場合、自動車の運転手としては、右先行車輛の動静に注視し、一時停止する等安全を期して運転すべきにかかわらず、これをなす注意義務を怠つたがために、急停車をしなければならないこととなり、これによつて被害者鈴木政子に傷害を与えたというところである。

これによると、原判決が被告人に過失責任ありと認定した根本的な理由は、被告人が先行車輛(二トン積トラツク)の動静に注意して運転すべきであるに拘らず、これを怠つたという点にあるのである。

かく考えると、被告人に過失ありや否やを判定する前提としては、先行車輛の動静、即ち、先行車輛が正常運転をしたか否かが重要なる問題となることは論理上当然としなければならないのである。

若しこの場合、先行車輛が正常なる運行をしておらないとすれば、被告人の急停車は先行車輛の正常ならざる運行により発生した危険を避けんがための止むを得ない処置となるからである。

以上のような前提のもとに本件発生前の被告人の車と先行車の運行状況を観察すると実況見分調書(記録一四丁)や寺本副検事の取調調書(記録一一八丁表)にも明白なる通り先行車輛と被告人運転の車輛との車間距離は約三メートルで当時の被告人の車輛の速度は一〇メートルか一五メートルであつたのであるから、このまま両車輛が正常に進行すれば、なんらの事故も発生する余地はなかつたのである。

かかる状況であるから、被告人は先行車輛に追尾して走り、その他周辺の車輛の流れも正常に運行されておつたところ、突然先行車輛が右折の合図を出し停車したので、(記録一一九丁表より裏)、被告人の車輛が先行車輛に追突しようとする危険が惹起せられたのである。よつて被告人は急に左転すべくハンドルを切つたが、被告人の車輛の前方の右側が先行車輛の後方の左側に接触しようとしたので、被告人は止むを得ず急停車の処置を採らざるを得ず、これがため本件を発生したのが真相である。

道路交通法五十三條並びに同法施行令第二十一條によれば、車輛の運転者は右折しようとするときは、その行為をしようとする地点から三十米手前の地点に達したとき、所定の合図をしなければならないのであるが、果して先行車輛の運転者が三十米手前での合図を完全に行つたかどうかこそ、本件において被告人に過失ありや否や並びにその軽重を判断するにつき重要なる鍵であると考えるのである。

この先行車輛の運行について、被告人は捜査段階以来その適否を強く主張し続けていた(前掲の記録一一九丁表より裏)のであるに拘らず、原審がこの点に思いを致して審理しなかつたことは、真に審理不尽と言うべく、この審理不尽によつて、原判決の理由の論理過程が被告人のみならず一般人を納得せしむるに足らない不充分となつているのである。

よつて、原判決には、以上の理由により判決に影響を及ぼすこと明らかな理由不備の違法があり、到底破毀を免れないものと信ずるものである。

第二点、原判決には、道路交通法第七十二條第一項前段の解釈を誤つた違法がある。

原判決は本件について、被告人に道路交通法第七十二條第一項前段の救護義務違反ありとしているところであるが、これは次の理由により道路交通法第七十二條第一項前段の解釈を誤つた判断であると信ずる。

先づ第一に右の法條は、路上において自動車の外部で発生した人身事故等の交通事故を目標として、これを主たる対象とした規定であるから、本件におけるが如く路上でなく自動車の内部で発生した事故については、相当修正して適用しなければならないと考えるものである。

事故発生後直ちに車輛の運転を停止せよという点も、それは條文の末尾に「直ちに車輛等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない」と言つていることで明瞭なる如く、車輛の運転を停止して外部の路上にある負傷者を救護するとともにこれを安全なる場所に移し、一時異常な状況になつている道路交通を正常なる状況に復帰せしめようとする趣旨に外ならないのである。故に本件の如く車内で生じた事故であり、道路交通の状況に異常が発生しておらない場合には、必ずしも運転停止を求めているものでないとしなければならないのである、よつて本件の場合被告人が事故後運転を停止しなかつたからと云つて被告人を責めるわけにはいかぬと信ずるものである。

ついで、被告人は本件について本條に言う被害者に対する救護義務に違反したものか否かを検討すれば、次の通りその義務に違反しておらないのである。

本條の救護義務違反がどういつた場合に成立するかについて従来判例は必ずしも帰一しておらないところであるが、何れの判例も結論において、交通事故の結果人身に負傷があれば、如何なる場合にもすべて本條の救護義務があるものとしてはおらず、当該具体的状況にかんがみ、負傷が軽微であつたり、被害者が医師の診療を拒絶したような場合には、これを除外すべきものとしているところである。(高等裁判所判例集一五巻六号四六〇頁並びにこの判旨を変更したとする最高裁判所判例集二四巻四号一三二頁及びこれに対する海老原震一調査官の解説、判例評論第九九号一七〇頁の香川達夫氏の評論)。

本件の場合を観察するに、被害者鈴木政子の怪我は、約四センチ程血がにじんでいる程度に過ぎず、同乗者杉本久仁子が「大丈夫ですか」と質したのに対し「大丈夫です痛くありません」と答え、医師の診療を受ける必要を認めない態度を示しているのである。

原判決は、この被害者鈴木政子の態度は、本人の法的無知によるものとするけれども普通大丈夫です、痛くもありません」と答えたとすれば、軽微な怪我であると感得するのが常識であり、これは被害者の法的知識の有無とは関係のないところである。

この際の被告人の態度を見ても、被害者の下車のとき「怪我が大きくなれば会社に連絡して下さい」と申述べ、自己の氏名と所属会社の電話番号までメモにしてこれを渡しているのであり、被告人はなんらの悪意を持つておらず、少くとも責任回避の意思はないのである。

かかる事情からして、本件において被告人に救護義務違反の責任ありとすることは、道路交通法第七十二條第一項の法意に非ずと信ずるものであり、原判決はこの点について擬律の錯誤ありと信ずるものである。

第三点、原判決の刑の量定は不当である。

原判決は、被告人に対して執行猶予付とは言え懲役八ケ月を言渡しているところであるが、この刑の量定は次の理由により極めて不当であると信ずるものである。

本件は被告人に過失ありとするも、その過失の程度は、第一点で詳説したように、先行車輛の運行を考慮するとき、それは極めて軽いとしなければならないのみならず、被害者鈴木政子の車内における腰の掛け方にも大いに問題があるのである。

若し鈴木政子が深く正常に腰を掛けておつたとすれば、仮りに急停車に遭つたとしても飛び上る程度は少なかつた筈である。

この点についての原審の第二回公判期日における鈴木政子の証言も、充分に腰を掛けておつたか否かについては極めて曖昧であるし、同乗しておつた杉本久仁子の原審第三回公判期日における証言によると、急停車した際深く腰を掛けておつたので、ハンドバツグを持つてお化粧しておつたのになんらの支障がなかつたものの如く言つているところである。

これらの事実を綜合すると、被害者鈴木政子は、充分深く腰を掛けておらなかつたことが推測できるところであり、この事実も傷害の一つの原因と考えられるのである。かく考えれば、被告人の過失は益々軽いとしなければならない。

なお、本件については、記録二〇〇丁より同二〇三丁に示す如く、被害者鈴木政子に対して三〇萬円という多額の損害賠償を支払つているのである。これによつて被告人が深く責任を感じ反省のうえ誠意を示していることが明瞭である。

次いで被害者の怪我の程度であるが、これは第二点でも詳説した通り極めて軽微であり頸椎捻挫と言うも後遺症を残さない程度のものであることを注意すべきである。

以上の通りの事情よりすれば、第二点により陳述した救護措置違反を考慮するにしても、原審判決の懲役八ケ月の量刑は重きに失し不当なりと信ずるものである。

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